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指揮者 佐渡裕 × ピアニスト 反田恭平: 二人が予測するクラシック音楽とデジタルメディアの未来

指揮者 佐渡裕 × ピアニスト 反田恭平: 二人が予測するクラシック音楽とデジタルメディアの未来

クラシック音楽業界においても、昨年来のコロナ禍において配信メディアやデジタル音声配信の需要が急激に加速している。今後のさらなるデジタルメディアの進化とクラシック音楽が描き出す新たな世界観や未来像について、世界的な指揮者の佐渡裕氏と、今、各方面から熱い視線を浴びているピアニストの反田恭平氏に語ってもらった。

Interviewed by 朝岡久美子


――お二人は業界でもメカ好き、デバイス好きで知られていますが、デジタル技術とクラシック音楽について、どのように考えていますか?

佐渡:僕は、音楽を鑑賞するということに関して大きく分けて二つあると思っています。圧倒的にすばらしさを体感できるのは、やはり生演奏だと思います。会場の広い空間でオケなり、ピアノなり、目の前の空気が振動すること自体に感動するというね。

一方、録音された音楽に触れる意義は、それがレコードであれ、デジタルであれ、音源を通して「過去と再会する」ということだと思っています。その場、その時代に自分は存在しなかったけれど、録音があることによって、その時の音や臨場感に触れることができる。「再会すること」自体に意義があるから、その手段がデジタルであれ、アナログであれ構わないわけです。それはそれで、一味違う楽しみがあると思います。でも、生演奏の醍醐味には絶対にかなわない。

反田:そうですね。僕も、クラシック音楽においてのデジタルメディア活用の最大のメリットは、その日、演奏会場に来られない方々が、ストリーミングサービスなどのプラットフォームを通してパフォーマンスに触れられるという、キャッチアップ的な手段としてなのかなと感じています。もちろん、デジタル技術があることで、僕たち、音楽家が勉強や仕事がしやすくなったのも事実ですし、それは、ありがたいことだと思っています。

ただ、一方で盤が売れなくなってしまったというのも事実としてあるわけですよね。「新しいことをやる」というのは、「古いモノを壊す」ということと背中合わせなので、これは仕方ないのかなと感じています。そういう意味では、時代が変化している“ド真ん中”に生きているんだな、というエキサイティング感もありますね。

佐渡:今のデジタル技術では、ステレオに向かっていなくても、携帯でも、PCでも、いつどこでも身近に音源が拾えるし、自由自在に音に触れることができる。それは、大変すばらしいことで、より多くの方々に気軽にクラシック音楽に触れてもらって、ゆくゆくは生の演奏会に誘ってくれる役割も果たしてくれると思うんです。今は、じっとしながら音楽を聴くなんて時代ではなくなってきているわけだから、これは、悪いことではないよね。

例えば、誰かと会話しながら、何かをしながらでもBGMのようにクラシック音楽の映像と音楽が流れているというようなシーンが今後、主流になっていくことも大いにあり得ると思うし、裏を返せば、演奏会場に来て、「音楽に真正面から対峙する」という価値も同時に上がっていくと感じています。そういうことを考えると、今、コロナ禍で配信の需要が加速度的に上がっているけれど、生の演奏会の価値というのも同時に再評価されるんじゃないかと。

――現在、佐渡さんと反田さん、そして、ウィーンのトーンキュンストラー管弦楽団によるプロコフィエフのピアノ協奏曲 第3番が、ストリーミングサービスや動画プラットフォームでも配信されています。昨年秋、ウィーンでの数日間の録音セッションの際には、悲惨なテロ事件が起き、かなりの心理的な衝撃があったと伺っていますが…。

反田:ウィーンでの録音セッションの一日目はリハーサルだけの予定でしたが、一楽章も撮っちゃえ、という感じで録音したんです。ところが、その夜にテロが発生しまして…。なので、発生翌日に録音した二楽章以降は、かなり空気感が違う感じがしています。

あの日の夜から翌日にかけては、街自体が機能していませんでしたし、佐渡さんも僕も、ほとんど寝ていない状態でレコーディングに臨みました。僕自身は、一楽章の時の爆発的に燃え上がるものとは違って、二楽章以降は、内に秘めたような燃え方になったように感じています。

佐渡:本当に特別な雰囲気に包まれていて、音に救われたような感じだったね。僕は特別な一枚になったと思っています。

反田:いや、本当にそうですね。「ゾーンに入る」みたいな求心力が演奏者全員、そして、ホール全体にみなぎっていて、僕自身も、レコーディングでは、いつも集中力との闘いなのですが、あの日は、どんなに時間をかけても(集中力が)全く切れませんでしたし、音楽が鳴っている時は、つねに佐渡さんとの対話もあって、本当にいい録音でした。

――反田さんは、ご自身の活動のPRにおいて、SNSや配信サービスなどを最大限に駆使していますが、その影響力について、どのように捉えていますか?

反田:僕は携帯大好き人間で、例えば電車の乗り換えの時でも、暇さえあればSNSを開いちゃうタイプなんです。僕らの世代は、むしろ、それが普通で、リアルタイムで物事や膨大な情報をみんなで共有することに慣れてしまっているので、今後起こり得ることへのトレンド予測やアイディアも何となく感知しやすいというのもありますね。

佐渡:海外のオーケストラは本当にSNSの活用がうまいよね。ただ演奏会の告知だけではなくて、うちのオケにはこういう名物プレイヤーがいて、プライベートではこういうことをしているんだよ、ということを積極的に発信しているんです。それが定期演奏会のプログラムの内容にさりげなくリンクしていたりと、本当に活用の仕方が優れているんですね。それを考えると、日本のクラシック音楽業界は遅れていると思いますね。

反田:アーティストも自分でチャンネルを持つ時代になっているので、自分自身でアピールできないと、という一面も今後は出てくると思います。言ってしまえば、アーティストも演奏に集中しているだけでは生き残れないということでもあり、演奏家としては活動しづらい時代になってくるのかもしれませんが、手に届くところにあるものは最大限に活用すべきですよね。それこそ、一つの投稿が何万ビューに届くこともあるわけですから、そういうものは有効活用すべきだと思っています。

――お二人は、今後、クラシック音楽界において、デジタルメディアが具体的にどのような進化を遂げると想像していますか?

反田:現在は盤の存在は関係なく、基本的に配信に特化するかたちが主流なんです。なので、アーティスト自身が顔を出さなくても、今の言葉で言う、いわゆる“バズる”というやつで、ミリオン再生も可能ですし、億単位の再生も可能な時代に入っていて、それに先駆けているのがまさにオーチャードさんみたいな存在ですよね。

僕もギリギリCD世代で、“ジャケ買い”なんていうのもやっていましたが、今後はジャケすらない音楽が増えていくんだろうなと思うんです。最初は四角かったものが、目に見えないものになってくる。でもコンテンツ自体のクオリティはきっと変わらないと思うし、むしろ上がっていくのかな、と考えるとあらゆる可能性が感じられて、とても楽しみですね。

佐渡: CDで録音しても、音源を横幅3メートル近いオーディオで再生するのと、カーステで再生するのと、さらにスマホで再生するのでは全く音が違うんですよね。だから、スマホで聴く人が圧倒的に主流になるということであれば、携帯で聴いてもオリジナルの音源が美しく聞こえるようにする、実際の音源に近づけていく、というのはこれからの大きな課題だと思うんです。

さらに、動画はもっと発展していくと思いますし、指揮者目線やオーケストラの後ろ側から見たアングルの設定も可能にしたり、二階席から聴く音質、一階席の真ん中から聴く音質、それぞれで楽しめるとか、あらゆる角度からバラエティに富んだ試みがあってもいいと思いますね。

反田:あと、僕らの世代的には、例えば、20年後くらいには、携帯でPVが立体的に視聴できるなど、VR的な面でも進化していたら理想的ですよね。そういうのをデジタルメディア業界の方々にぜひ頑張って頂きたいですね。

――最後に、今後、お二人のコンビでチャレンジしてみたいことは?

佐渡:僕ね、100万回でも反田君とこの前の(2021年2~3月の)ツアーで演奏したラフマニノフをやってたい。ベートーヴェンもプロコフィエフも、ショパンもいいけれど、やはりラフマニノフのピアノ・コンチェルト3番だね。まるで、中学生の時に初めてハードロックの面白さにハマったみたいな感覚で、快感が薄れないんだよね。

反田:僕は佐渡さんには指揮を見て頂けたら、というのがあります。すでに、いろいろな場で宣言しているのですが、鍵盤の世界だけには留まっていたくないという強い思いがありまして。なので、僕の指揮ぶりを佐渡さんに見て、聴いて頂いて、講評やコメントをもらえたら、前に進めるんじゃないかと思っています。そして、佐渡さんには、僕たちのオーケストラ(「ジャパンナショナルオーケストラ」、通称「」)で、フルート、いや、リコーダーでもいいんですが(笑)、一緒に演奏家として参加して頂けたら、さらに嬉しいですね。

(注*:「JNO」は反田が主宰する管弦楽団。2018年に発足したMLMダブルカルテットが前身。21年1月に「ジャパンナショナルオーケストラ」と改名。5月にはオーケストラを運営する会社を設立。特別編成を組んで、2021年2~3月、反田をソリストに、佐渡を指揮者として迎え、キックオフのツアーを敢行した)

ENGLISH:

Conductor Yutaka Sado × Pianist Kyohei Sorita: Their Predictions for the Future of Classical Music and Digital Media

In the classical music industry, the demand for distribution media and digital audio distribution has been rapidly accelerating in the wake of the Coronavirus disaster since last year. We asked world-renowned conductor Yutaka Sado and pianist Kyohei Sorita, who is currently under the spotlight from various fields, to talk about the further evolution of digital media and the new world view and future image of classical music.

Interviewed by Kumiko Asaoka


The two of you are well known in the industry for your love of mechanics and digital devices.

How do you think about the relationship between digital technology and classical music?

Sado: I think there are two main ways to appreciate music. I think that live performances are by far the most wonderful way to experience music. When you listen to a live performance in a wide space of a concert hall, you are simply moved by the vibrations of the air in front of you, whether it is the orchestra or the piano.

On the other hand, I believe that the significance of experiencing recorded music, whether it is on vinyl or digital, is to “reconnect with the past” through the sound source. Even though you weren’t there at that time and place, the recording allows you to experience the sound and presence of that time. It doesn’t matter if it’s digital or analog, because the significance is in the “reconnection” itself. I think that is a different kind of enjoyment compared to listening a live music. But of course, it can never compete to the real pleasure of live performance.

Sorita: That’s true. I also feel that the greatest merit of using digital media in classical music is as a means of catching up with people who can’t come to the performance venue on the day, so that they can experience the performance through platforms such as streaming services. Of course, it is true that digital technology has made it easier for us, musicians, to study and work, and I am grateful for that.

But on the other hand, it is also a fact that records are no longer selling well, isn’t it? “Doing something new” means “Destroying the old”, and I feel that this is inevitable. In that sense, it’s exciting to know that we are living in the “middle” of a changing era.

Sado: With today’s digital technology, you don’t have to face a stereo system, you can pick up sound sources anywhere and anytime, even on your smartphone or computer devices, and you can freely touch the sound. This is a wonderful thing, and I think it will play a role in making classical music more accessible to more people, and eventually invite them to live concerts. This is not a bad thing, since we are no longer in the age of listening to music while sitting still.

For example, I think it is very possible that the scene where classical music and images are played as background music while talking with someone or doing something will become mainstream in the future. In other words, the value of coming to a performance venue and “facing straight to the music” will also increase at the same time. When I think about it like that, the demand for distribution is rapidly increasing due to the Coronavirus disaster, but I think that the value of live concerts will be reevaluated at the same time.

–Prokofiev’s Piano Concerto No. 3, performed by both of you and the Tonkünstler-Orchestra of Vienna, is now being distributed through streaming services and video platforms. Last fall, during the recording session in Vienna for a few days, there was a tragic terrorist attack, and I heard that it was quite a psychological shock…

Sorita: On the first day of the recording session in Vienna, we were only supposed to rehearse, but we recorded the first movement as well. However, there was a terrorist attack that night… So, from the second movement onward, I feel the atmosphere is quite different.

From that night to the next day, the city itself was not functioning, and both Mr.Sado and I went into the recording with very little sleep. For myself, unlike the explosive blaze of the first movement, from the second movement onward, I feel that the blaze was more internal.

Sado: There was a really special atmosphere that surrounded us, and it felt like the sounds saved us. I think it became a special piece of work.

Sorita: Yes, I totally agree. I felt like every musician and every part of that music hall was full of centripetal force just as if they were “entering the zone”. I always struggle with concentration during musical recordings, but on that day, no matter how much time we spent on it, I never lost my concentration. When the music was playing, there was always a dialogue with Sado-san, and it was a really good recording.

–Mr. Sorita, you always try to maximize the power of social media and distribution services to promote your musical activities. How do you see its influence?

Sorita: I’m the type of person who loves smartphones, and even when I’m changing trains, I open up social networking sites whenever I have time. Our generation is used to sharing things and exchanging vast amounts of information in real time, so it’s easy for us to predict trends and ideas for what might happen in the future.

Sado: Overseas orchestras are really good at using social media. They don’t just announce concerts, but they also proactively announce that their orchestra has such famous players and that they are doing such things in their private lives. This information is subtly linked to the content of the regular concert programs, so it’s really an excellent way to utilize the information. Considering this, I think the classical music industry in Japan is lagging behind.

Sorita: Now that artists have their own channels, I think there will be an aspect in the future where they will need to be able to promote themselves. In other words, artists will not be able to survive just by concentrating on their performances, and we may be living in an age where it will be difficult to work as a performer, but we should make the most of what is available to us. A single post can reach tens of thousands of views, and I think we should use these tools effectively.

–How do the two of you imagine that digital media will evolve in the classical music world in the future?

Sorita: Currently, the mainstream is basically focused on distribution, regardless of the existence of the physical CD. So, even if the artists themselves don’t show their faces, it is possible for them to “go viral” in today’s language, and it is possible to have million or even billion views. Music distributers like Orchard is definitely a pioneer in this field. 

I barely grew up in the CD generation, and sometimes the cover influenced me to buy CDs, but I think that in the future, more and more music will not even have cover artworks. What started out as something square will become something invisible. But I’m sure the quality of the content itself won’t change, in fact it will probably improve and expand more possibilities. That makes me very exciting.   

Sado: Even if you record a CD, the sound is completely different when it’s played back on a stereo system that’s almost three meters wide, on a car stereo, or even on a smartphone. So, if the number of people who listen to music on their smartphones is going to become overwhelmingly mainstream, I think a big challenge for the future is to make the original sound source sound beautiful and close to the actual sound source even when listening to it on a smartphone.

In addition, I think video will continue to develop, and I think it would be good to have a variety of approaches from all angles, such as enabling the setting of angles from the conductor’s point of view or from the back of the orchestra, or enjoying the sound quality from the second-floor seats or from the middle of the first-floor seats.

Sorita: Also, for our generation, it would be ideal if, for example, 20 years from now, we can watch music videos in 3D on our smartphones, or if VR has evolved as well. I would like to see people in the digital media industry do their best to make this happen.

–Finally, what would you like to challenge together in the future?

Sado: I’d like to play the Rachmaninoff pieces that we played together on our last tour (February-March 2021) a million times. Beethoven, Prokofiev, and Chopin are all good, but I really want to play Rachmaninoff’s Piano Concerto No. 3. It’s as if I first fell in love with hard rock music when I was in junior high school, and the pleasure never fades.

Sorita: I wish if Mr.Sado could see me conduct music. I’ve already declared in various places that I don’t want to stay only in the keyboard world. So, if Mr. Sado can see and hear me conduct music, and give me critiques and comments, I think I can move forward. I would also be very happy if you could play the flute, or even the recorder (laughs), in our orchestra (the Japan National Orchestra, or JNO*).

(Note*: “JNO” is the orchestra hosted by Sorita; its predecessor was the MLM Double Quartet, launched in 2018. The name was changed to “Japan National Orchestra” in January 2021, and its management company was established in May to manage the orchestra. The orchestra was specially organized and went on a kick-off tour in February and March 2021, with Sorita as soloist and Sado as conductor.)

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